名も無い教員が、淡々とした生活を淡々と記録。
(追記:2016年11月13日)
ときどき世情に対して思うことが生じるので、そのときは適当な放言を記録。
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わかりやすい、という言葉が幅を利かせている。先日、某氏による分かりやすいと評判の講義を視聴した。確かに分かりやすいのだが、それは、○○という事が起こりましたとか、○○という国と△という国が交渉して××が起こりました、といった内容を紹介しているからで、その裏に潜む行動原理などを何も説明していないからだろう。話し方が軽妙で、集中力を維持しやすくなっているところは参考になるのだが、考えさせるべきことを紹介しないで、聴いてすぐに把握できるようなことだけを紹介すれば、分かりやすいのは当然と言える。このような分かりやすいが持て囃されるくらいだったら、やせ我慢して古典を読み漁り、理解不足なのに博学のふりをしていた時代の方がマシだろう。ただ、曖昧な理解を積み上げて分かったつもりになるのは、学術研究を進める上では致命傷になるのだが…。
今日は午後から講義がある。学生との面談もある。午前中しか時間が取れないので、その間に文章を作るなど、地味な作業をするか。
今日は午後から講義がある。学生との面談もある。午前中しか時間が取れないので、その間に文章を作るなど、地味な作業をするか。
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