名も無い教員が、淡々とした生活を淡々と記録。
(追記:2016年11月13日)
ときどき世情に対して思うことが生じるので、そのときは適当な放言を記録。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
昨日は、週末の討論で使う資料は最低限必要とされることは入力した。ここから、どこまで加筆するか考える必要はあるけど、このままでも用事は対応できる。ほか、先延ばししてしまった御礼状の作成をした。関係者に送って内容の確認をしてもらい、問題なければ関係各方面に送付する。こういう細々とした用事の積み重ねによる疲労は、週1回しっかり休暇を取ることで解消するしかない。と書いたけど、この3連休は外出する機会ばかりで体力面では休みを十分に確保できなかった。
今日は細々とした作業や用務を片づける。業務がない週になったので、今週は少しやるべきことを進めたい。今週末で共著者が帰国してしまうので、この作業は少しでも進めたい。
今日は細々とした作業や用務を片づける。業務がない週になったので、今週は少しやるべきことを進めたい。今週末で共著者が帰国してしまうので、この作業は少しでも進めたい。
PR
1日作業場を空けた後に電子手紙を確認すると凄まじい数の迷惑手紙が届いている。それを全てゴミ箱に放り込むことから作業が始まるけど、これは鬱陶しい作業だ。とはいえ、放置するわけにもいかないので、黙々と片付けるしかない。篩分のために鍵用語を用意しても大した効力が無いのは残念なところ(送る側も送り主の名前を微妙に変えてくるので、うまく篩分しにくい)。
今日は今週末の用事で使う資料を作る。それだけ。できるだけ早く帰る。
今日は今週末の用事で使う資料を作る。それだけ。できるだけ早く帰る。
午前中は十数年ぶりに外部の中等教育機関でお話をしてきた。使う言葉を平易にすることを意識したけど、これは意外と負荷がかかることだった。質問や意見などが沢山出てきたので、一定程度の関心を引き付けることはできた気がしている。それが終わってから、県庁所在地にある所属先の出先事務所で行われていた、人工知能網について制度の観点から議論する討論会に参加した。ことを不必要に難しく考えている論者から、穏当な見解を有している人まで、多様な見解に触れることができたのは収穫だった。それをすぐに役立てることはできないけど、同じような事象を見ていても、そこから受ける問題意識に大きな違いがあることを知れるのは重要だろう。
午前中は研究の相談に乗って、学生らしい昼食(麺類)を摂った後に、自分の生活圏から外れた非日常空間に来た。参加者の雰囲気は、慣れたものから大きく異なっていて、その雰囲気にいるだけで若干の高揚感が出てくる。こういう機会を費用だと思うと苦しくなってくるだろうけど、社会見学だと思って参加すると、ちょっとした活力増進に役立ちそうだ。結局は気の持ちようということか。
午前中に講義をやって、それから移動して、細かい用事を片づけてから、正午から諸々の集会に参加した。だいぶ慣れてきたけど、それと同時に苛立ちが増している。細かいことに対して不寛容になっているのだろう。それから諸々の残務整理をしてから戻ってきた。
風邪を引いたことも影響してか、仕事の処理速度が低下している気がする。余計なことを考えなければ、新鮮な気分で取り組めるはずなので、無心になって黙々と片づける。こう考えると、一昔前、頻繁に書いた「日々是匍匐前進」はよくできた人生訓だ(自画自賛)。
風邪を引いたことも影響してか、仕事の処理速度が低下している気がする。余計なことを考えなければ、新鮮な気分で取り組めるはずなので、無心になって黙々と片づける。こう考えると、一昔前、頻繁に書いた「日々是匍匐前進」はよくできた人生訓だ(自画自賛)。