名も無い教員が、淡々とした生活を淡々と記録。
(追記:2016年11月13日)
ときどき世情に対して思うことが生じるので、そのときは適当な放言を記録。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
昨日は規制産業に関連する論文を読んだり、だいぶ前に行った計算を再確認したりした。思いのほか、作業をしたことになるが、その影響で頭がふらついた…。
今日は珍しく、雑感を書く。
4番打者への敬遠で話題になっている。高校生らしくないなど、色々と文句を言われている。正々堂々と真っ向勝負することを高校生らしいと定義している印象を受けるが、こんなこと、外野がとやかく言うことではない。単に、高校生の競技を見ている外野が、ここでの「高校生らしい」振舞いをみたいという生の欲求を、「高校生らしくないから良くない」という言葉を使って覆い隠し、「高校生らしくない」試合運びをした高校を感情で攻撃しているだけではないかと思う(主観)。こんな言葉を使うくらいだったら、素直に「真っ向勝負が見たいんじゃ!ぼけ監督!」という飲んだくれおっさんの方が好感を持てる(これも主観)。
己の能力や相手の打順などを考慮し、その中で最適解(ここでは勝つこと)を模索するというのは、教育上意義のあることではないかと思う。競技の中で、どこで力を入れてどこで力を抜くか(どこで勝負してどこで回避するか)、という試合全体を通じた力の配分を考えるのは意外と難しく、今回の敬遠もそれに類することだろう。全て真っ向勝負というのは何も考えずにできるので(とにかく真っすぐ攻めたと納得できさえすればいい)、それこそ教育上よろしくないと思うが(頭を使っているとは思えないから)。そもそも、四球を与えると塁上の走者を増やすので、次の一打が出た場合の出血が大きくなるので危険を背負い込む面もある。この危険との比較で四球を選んだはずなのだが…。
気に入らないという感情を発露するのは勝手だが、選手を責めるのはやめた方がいい。監督の指示に従って、その指示を忠実に遂行して勝ちにつながる働きをしただけなのだから。
今日は珍しく、雑感を書く。
4番打者への敬遠で話題になっている。高校生らしくないなど、色々と文句を言われている。正々堂々と真っ向勝負することを高校生らしいと定義している印象を受けるが、こんなこと、外野がとやかく言うことではない。単に、高校生の競技を見ている外野が、ここでの「高校生らしい」振舞いをみたいという生の欲求を、「高校生らしくないから良くない」という言葉を使って覆い隠し、「高校生らしくない」試合運びをした高校を感情で攻撃しているだけではないかと思う(主観)。こんな言葉を使うくらいだったら、素直に「真っ向勝負が見たいんじゃ!ぼけ監督!」という飲んだくれおっさんの方が好感を持てる(これも主観)。
己の能力や相手の打順などを考慮し、その中で最適解(ここでは勝つこと)を模索するというのは、教育上意義のあることではないかと思う。競技の中で、どこで力を入れてどこで力を抜くか(どこで勝負してどこで回避するか)、という試合全体を通じた力の配分を考えるのは意外と難しく、今回の敬遠もそれに類することだろう。全て真っ向勝負というのは何も考えずにできるので(とにかく真っすぐ攻めたと納得できさえすればいい)、それこそ教育上よろしくないと思うが(頭を使っているとは思えないから)。そもそも、四球を与えると塁上の走者を増やすので、次の一打が出た場合の出血が大きくなるので危険を背負い込む面もある。この危険との比較で四球を選んだはずなのだが…。
気に入らないという感情を発露するのは勝手だが、選手を責めるのはやめた方がいい。監督の指示に従って、その指示を忠実に遂行して勝ちにつながる働きをしただけなのだから。
PR
この記事にコメントする