名も無い教員が、淡々とした生活を淡々と記録。
(追記:2016年11月13日)
ときどき世情に対して思うことが生じるので、そのときは適当な放言を記録。
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現在抱えている講義の準備で四苦八苦しているけど、過去の自分がどうだったのか確認したら、最初に担当した時は日本語で実行していたにも関わらず、準備に追われた上にグダグダだったようだ。どうも、己の容量に起因する問題なので、手間取っている状況を劣化として捉えずに、仕方がないこととして割り切った上で落ち着いて作業に取り掛かった方が精神衛生は良さそうだ。過去の苦行を忘れてしまうあたり、喉元過ぎれば何とやらということか。このような日常の淡々とした日々を記録している御利益を受けた気分だ。
今日も資料確認が中心で、終わったところで依頼されたことに対応する。このころと違うのは依頼されている案件が多いことくらいか。何とか、依頼案件はごく僅かに減らすことができたので、少しだけ気楽になっているけど、気を緩めずに黙々と前に進める。やっているは壮大ではないけど一定の意味はあるのだから、少しは面白さを自覚して作業を進めたい。余計なことを気にしすぎている気がする。
今日も資料確認が中心で、終わったところで依頼されたことに対応する。このころと違うのは依頼されている案件が多いことくらいか。何とか、依頼案件はごく僅かに減らすことができたので、少しだけ気楽になっているけど、気を緩めずに黙々と前に進める。やっているは壮大ではないけど一定の意味はあるのだから、少しは面白さを自覚して作業を進めたい。余計なことを気にしすぎている気がする。
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