名も無い教員が、淡々とした生活を淡々と記録。
(追記:2016年11月13日)
ときどき世情に対して思うことが生じるので、そのときは適当な放言を記録。
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大学院における初期時点で優秀と呼ばれるのは、基本科目において良好な成績を収めた場合が多い。このような学生が良い論文を書く確率は高い気がするけど、実際のところ、基礎学力の高さと問題設定の上手さには大した関係はない気もする。ただ、問題設定がうまくできたことを前提にすると、基礎学力が高い方がうまく行く確率は高いけど、共同作業は認められているので、その中で足りないところをうまく補いながら作業を進められる調整能力があれば欠点は克服できたりする。手段は色々とあって、その中で自分に適した方法を生み出せばいいのだけど、それは簡単には見つからない(見つかれば、多くの人がやっているはず)。目の前にいる院生を見て、研究を遂行するというのは、なかなか難しい問題なんだなと思う。特に、大学院初期段階で優秀と目されていた学生が躓いているのを見ると、そう思う。明らかに、自分なんかよりもできる院生は目の前にたくさんいるので、残念な気持ちになる。出来そうなことを這いつくばって見つけて黙々と作業しているだけの自分は、この気持ちを日々強くしている。
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