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名も無い教員が、淡々とした生活を淡々と記録。 (追記:2016年11月13日) ときどき世情に対して思うことが生じるので、そのときは適当な放言を記録。
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昨日、企業のケースを聴く機会があった。今日も明日も、そんな企画がある。

この中で、事前の経済合理性に基づく意思決定を否定的に捉えて、学習を通じた手法の蓄積が強調されていた。某企業は、自分らで試行錯誤しながら手法を蓄積していて、事前に大凡の概観をして、その概観の下での最適解を解いてゆくというような、新古典派的なそれとは違うという趣旨だったような気がする。経済学の考え方が否定的に捉えられるのは、仕方がない面もあるので、ここでは特に問題にしない(市場主義万歳みたいな極端なものが、経済学のそれと勘違いさせるような報道が多いから、誤解するのも仕方がない、一般の人ならば。そうで無くて誤解するとしたら、何かの意図を感じずにはいられない)。しかし、この試行錯誤の過程だって、その時に考えた最善と思われる判断に基づいて行われているはずではないか?何も解らない時に、過去にあった同種の出来事などを調べ上げて、選択肢を絞って、その中で最適と思われるものを選択してるはず。合理性批判というのは、この様な営みを否定するような乱暴な議論のような気がして仕方がない。地味に作業をし続けている研究者ならば、自身の営みが試行錯誤の連続であることを、少なくとも自身の経験から知ることが出来るはずなのに・・・・・(試行錯誤といっても、その限られた知恵と経験の中で、十分な計算はしている)。ただ、これは、私のような愚鈍な研究者だから感じることで、多くの研究者は、ある種の手法を身に付けていて、それに沿って流麗に作業を執り行っているのかも知れない。そうすると、試行錯誤の過程はかえって新鮮なのかも知れない。最初に書いた論は、私の理解を超えている。単に私が馬鹿で内容を誤解しているだけかもしれない。
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