名も無い教員が、淡々とした生活を淡々と記録。
(追記:2016年11月13日)
ときどき世情に対して思うことが生じるので、そのときは適当な放言を記録。
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申請書の確認をする。1つは終わった。これから、もう1つの確認をする。これも、20分くらいで終わるだろう。これで、この休み中に懸案となっていた事柄は片づいたことになる。後は、某研究所からの依頼に対処すべく、ある論文を読み進めることになる。この論文は英語で、内容は自分の知りたかった事なので、依頼とは関係なく、粛々と読み進めて、己の阿呆を少しでも補おうと思う。こんなでは、ちっとも補えないという話しはあるが、それは仕方がない。やらないよりはマシだ。続けていれば、何かが起こるかも知れない(まあ、起こらないことが普通なんだけど)。
あまり関係ないけど、思うところがあるので、貼り付けておく。
年月は、人間の救ひである。
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あまり関係ないけど、思うところがあるので、貼り付けておく。
年月は、人間の救ひである。
忘却は、人間の救ひである。
(太宰治「お伽草紙:浦島さん」より)
月日が流れることで蓄積が起こり、忘却があることで癒される部分もある(何時までも何でも覚えていたら気が狂ってしまうのではないか)。
月日が流れることで蓄積が起こり、忘却があることで癒される部分もある(何時までも何でも覚えていたら気が狂ってしまうのではないか)。
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