名も無い教員が、淡々とした生活を淡々と記録。
(追記:2016年11月13日)
ときどき世情に対して思うことが生じるので、そのときは適当な放言を記録。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
最近、Happiness という言葉を経済学の文脈でお目にかかることがある。 Happiness and public economicsとう名前でJ.Pub.E.に特集号も出るようだ(In press 情報からの推測)。といっても、私には何もすることは出来ないのだが。こういうものを見て何も感じない自分を振り返ると、感性の鈍さを感じずにはいられない。
昨日、作業をしたようなしなかったような、変な1日だった。兎に角、ここ2日間でやった内容を整理していた。それと、それが実際の問題と密接に関連しているか調べていた。しかし、調査の方は上手くいった感じがしない。兎に角、自分は阿呆で、文献を整理するのが駄目で、何をやっていたのかよく分かっていない。阿呆であることを嘆いても仕方がないので(治るわけでもないから)、その制約の中で淡々と前に進むしかない。
今日は、この調べた内容を少し確認して、午後は散歩する。時間が余ったら、まだ読み終えていない(遅すぎ)、日本宗教史を読むか。
昨日、作業をしたようなしなかったような、変な1日だった。兎に角、ここ2日間でやった内容を整理していた。それと、それが実際の問題と密接に関連しているか調べていた。しかし、調査の方は上手くいった感じがしない。兎に角、自分は阿呆で、文献を整理するのが駄目で、何をやっていたのかよく分かっていない。阿呆であることを嘆いても仕方がないので(治るわけでもないから)、その制約の中で淡々と前に進むしかない。
今日は、この調べた内容を少し確認して、午後は散歩する。時間が余ったら、まだ読み終えていない(遅すぎ)、日本宗教史を読むか。
PR
この記事にコメントする