名も無い教員が、淡々とした生活を淡々と記録。
(追記:2016年11月13日)
ときどき世情に対して思うことが生じるので、そのときは適当な放言を記録。
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昨日のうちに、一昨日に英文校正出した案件と関連する論文の最終確認(というより意外と大きな加筆作業)を終えて英文校正に出した。一気に片付けたので、不思議な高揚感はあった。気合を入れれば、作業速度を二倍に高められることもあるらしい(年数回の頻度で)。
今日は報告資料を作らなくてはいけないのに、事務仕事を含めて3件の問い合わせを片付けることから始めてしまった。並行作業は集中力の無い自分には向いている方法だと思っているけど、案件が重なると苦しくなってくる。まあ、夜早めに寝れば苦痛は癒されるけど。
ということで、今日と明日の午前中にかけて報告資料を作る。可能ならば今日中に終わらせたい。とにかく、少しでも片付けて頭の中を軽くしたい。
今日は報告資料を作らなくてはいけないのに、事務仕事を含めて3件の問い合わせを片付けることから始めてしまった。並行作業は集中力の無い自分には向いている方法だと思っているけど、案件が重なると苦しくなってくる。まあ、夜早めに寝れば苦痛は癒されるけど。
ということで、今日と明日の午前中にかけて報告資料を作る。可能ならば今日中に終わらせたい。とにかく、少しでも片付けて頭の中を軽くしたい。
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昨日の予定通り、今日は昨日英文校正に出した論文の関連論文を最終確認して英文校正にだす。これを行えば、追加で作業する気力は無くなるので、落ち着いて別件に労力を移すことができる。
私のような阿呆でも、作業をし続ければ「それなりに」成果が出ることを示すのが自身の役割だと思い、黙々とやっているが、その目的通り「それなりに」成果は出ている気がする。賢く生きている優秀な研究者から見れば、大した成果は出ていないと思われているのも重々承知しているけど、もうしばらくは、この阿呆な取り組みを続けるつもり。
私のような阿呆でも、作業をし続ければ「それなりに」成果が出ることを示すのが自身の役割だと思い、黙々とやっているが、その目的通り「それなりに」成果は出ている気がする。賢く生きている優秀な研究者から見れば、大した成果は出ていないと思われているのも重々承知しているけど、もうしばらくは、この阿呆な取り組みを続けるつもり。
最終段階になっている案件を片付けて英文校正に出した。もう1つの最終段階にある件も今日中に片付けて英文校正に出す。これが終わったところで今週金曜日の準備をして、終わったところで改訂案件に取り掛かる。たまっていた案件を片付けて少しだけ頭が軽くしないと着手できない重たい改訂案件なので、心して取り掛かる。こうやって追い込まれている感覚を抱えながら生きているというのは、仕事を作り過ぎているからなんだろう。しかし、少しでも面白そうな特性が示せそうだと形にしたくなるので、この誘惑を抑えることが重要になってくる気がしている。いい案件を精査する眼力が必要になるということだろう。
昨日、支援室の方に作成頂いた内部で使う申請書類の修正や、大詰めを迎えた論文の最終確認など、時間を十分にかけなくても対処できるものを片付けた。だいぶ時間のかかった案件を草稿として公開できたので、今日最終確認をした件も、明後日には英文校正に出して、来週末には投稿したい。とにかく、黙々と大詰め案件を片付けつつ、改訂案件に十分な時間を取れるようにする。
昨日、東端にある大学で報告をしてきた。すでにおおよそ完成している案件だったけど、ちょっと細かいことを思ったので、記録を取っておいた。実行に移すことは無いと思うけど、何か書いておくことは重要だろう。日帰りで行ってきたので、家には遅く着いてしまい、就寝時間が日を超えてしまった。これは極めて残念なこと…。
今日はすぐに片づけたい案件を片づけて、それから論文の改訂に戻る。週末も仕事をする。しばらくは休まない。
今日はすぐに片づけたい案件を片づけて、それから論文の改訂に戻る。週末も仕事をする。しばらくは休まない。